先日のおらが村トレッキングネタが続きます。
トレッキングのテーマは「遺跡」、ということで、今回は考古学ガイド付き!
ガイドのマルタさんは、おらが村の隣町出身ですが
悪魔の橋のあるボルゴ・ア・モッツァーノ在住でガルファニャーナのガイドが多いそうですが
故郷であるこの地域にもかなり詳しい模様。
おらが村の名前の由来は「波」、というのも、この地域は水が豊富で、
水車を利用して山で捕れる栗を粉にしたり、多くの力を生み出してきたそうです。
「休暇の家」を通り越し、更に山へ登る途中にある、樹齢300年のコルクの木。
この辺りは皆、農業をしており、ここにいたワインやオイルの生産者が
この木からコルクを作っていたそう。
しかし、近年の都会への流出で人は離れ、この木もそのまま放置されたまま・・・
コルクになる木は温度も必要だそうで、こんな高地では珍しいこともあり
保護自然物に指定されているそうです。
ここは記憶があいまいなのですが、この土地の歴史を編纂するために赴いた
古文書編纂家がこのヴィラに住んでいた時に、かつてのゴシック様式の窓を作らせた
・・・とか、建築様式や、時代によって内面・外面のどちらに重きを置くかなど
歴史の観点が違うお話・・・ウーン、メモを持って行っておけばよかった!
カテリーナの家系であるゴーリ家は、近年この辺りの領主であり
1900年代には2人が市長になるという、おらが村では有名な一家です。
そのヴィラも、昔は豚小屋やら、作業工房、領主家の人々の娯楽とな小劇場などを兼ねていました。
現在のおらが村ができるまで、この地域の中心的な地区だったサン・レオリーノ。
中に入ることはできませんでしたが、特徴的な3つの後陣がかわいかったです♥
そして今回のハイライトは、サン・レオリーノの城跡。
ほとんどが存在しないのですが、森の奥に、城の主門があった壁が残っています。
1100年頃の記録には、すでに城の存在は記載さえていたほど古いもの。
1367年にフィレンツェ共和国からグイーディ家の領地として割り当てられます。
しかしその後グイーディ家の謀反により、フィレンツェ共和国の監視下に置かれた後、
ポッピ(お城が残り、イタリアの最も美しい村にも選ばれています)小教区に割り当てられ・・・
この時代の貴族・有力商人家系などの力関係やイタリアの小国乱立期のお話、
一応それを卒論のテーマとした私としては、プチ興奮状態=3=3=3
つい最近TVドラマで見たメディチやアルビッツィの名前が出てくると
ハマっていた長男も目をキラキラさせて聞いていました。
その後は、地下に続く井戸や
所々に残る城壁を見ては、この城があったころに思いを馳せ・・・
でも一番感動したのは、今はこの土地の所有者のおじさんが見せてくれた地図!
ぱっと見、子供が書いた絵みたいですが、1200年代の地図なんですって!
そこにもしっかり、サン・レオリーノの名前と、当時の重要地の名前と城の絵が。
そして、さっき見た教会だけど、正式認可された教会なんですか?と参加者が聞くと
「もちろん、僕はあそこで結婚したんだよ」とおじさん。
今は扉を閉ざされて誰も入れない教会ですが、そんな時代があったなんて・・・
快く私有地を解放して、お話しをしてくれたおじさんにも感謝!
おらが村は超マイナーな小さな村、しかし、その領域にかつて名をはせた城があったとは・・・
おらが村を深く知り、まだまだ発見をしたくなる、そんなトレッキングイベントでした。
【セルフマガジンが完成しました!】
トレッキングのテーマは「遺跡」、ということで、今回は考古学ガイド付き!
ガイドのマルタさんは、おらが村の隣町出身ですが
悪魔の橋のあるボルゴ・ア・モッツァーノ在住でガルファニャーナのガイドが多いそうですが
故郷であるこの地域にもかなり詳しい模様。
おらが村の名前の由来は「波」、というのも、この地域は水が豊富で、
水車を利用して山で捕れる栗を粉にしたり、多くの力を生み出してきたそうです。
「休暇の家」を通り越し、更に山へ登る途中にある、樹齢300年のコルクの木。
この辺りは皆、農業をしており、ここにいたワインやオイルの生産者が
この木からコルクを作っていたそう。
しかし、近年の都会への流出で人は離れ、この木もそのまま放置されたまま・・・
コルクになる木は温度も必要だそうで、こんな高地では珍しいこともあり
保護自然物に指定されているそうです。
ここは記憶があいまいなのですが、この土地の歴史を編纂するために赴いた
古文書編纂家がこのヴィラに住んでいた時に、かつてのゴシック様式の窓を作らせた
・・・とか、建築様式や、時代によって内面・外面のどちらに重きを置くかなど
歴史の観点が違うお話・・・ウーン、メモを持って行っておけばよかった!
カテリーナの家系であるゴーリ家は、近年この辺りの領主であり
1900年代には2人が市長になるという、おらが村では有名な一家です。
そのヴィラも、昔は豚小屋やら、作業工房、領主家の人々の娯楽とな小劇場などを兼ねていました。
現在のおらが村ができるまで、この地域の中心的な地区だったサン・レオリーノ。
中に入ることはできませんでしたが、特徴的な3つの後陣がかわいかったです♥
そして今回のハイライトは、サン・レオリーノの城跡。
ほとんどが存在しないのですが、森の奥に、城の主門があった壁が残っています。
1100年頃の記録には、すでに城の存在は記載さえていたほど古いもの。
1367年にフィレンツェ共和国からグイーディ家の領地として割り当てられます。
しかしその後グイーディ家の謀反により、フィレンツェ共和国の監視下に置かれた後、
ポッピ(お城が残り、イタリアの最も美しい村にも選ばれています)小教区に割り当てられ・・・
この時代の貴族・有力商人家系などの力関係やイタリアの小国乱立期のお話、
一応それを卒論のテーマとした私としては、プチ興奮状態=3=3=3
つい最近TVドラマで見たメディチやアルビッツィの名前が出てくると
ハマっていた長男も目をキラキラさせて聞いていました。
その後は、地下に続く井戸や
所々に残る城壁を見ては、この城があったころに思いを馳せ・・・
でも一番感動したのは、今はこの土地の所有者のおじさんが見せてくれた地図!
ぱっと見、子供が書いた絵みたいですが、1200年代の地図なんですって!
そこにもしっかり、サン・レオリーノの名前と、当時の重要地の名前と城の絵が。
そして、さっき見た教会だけど、正式認可された教会なんですか?と参加者が聞くと
「もちろん、僕はあそこで結婚したんだよ」とおじさん。
今は扉を閉ざされて誰も入れない教会ですが、そんな時代があったなんて・・・
快く私有地を解放して、お話しをしてくれたおじさんにも感謝!
おらが村は超マイナーな小さな村、しかし、その領域にかつて名をはせた城があったとは・・・
おらが村を深く知り、まだまだ発見をしたくなる、そんなトレッキングイベントでした。
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