イタリア・トスカーナ専門コーディネイターのトスカーナ田舎暮らし

日常生活から仕事、イタリアの笑えない話など、人口1800人のド田舎から日々の生活を綴ります。

歴史

イタリアの中規模の町に行ったら、市役所にちょっと潜入してみよう

それは、だいたいが歴史的な建物を使っているから。
先日のピストイアでもふらっと入ってマリーノ・マリーニの作品が見られた
古い扉や古いフレスコ画が見られたりしましたが
今回のブレーシャでも、ちょっと潜入してみました。

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建物は、新ドゥオモの左横の建物で、県庁と市役所が両方入っています。
市役所はそのまま中庭を越えて、向こう側の柱廊右。

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こんな階段見たら、入りたくなるでしょう?

2階は市役所の戸籍課が昔からあったようで、
ARCHIVIOと書かれた大理石のドア周りも健在。


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棚や番号札システムなどはもちろん思いっきり現代モノですが
イタリアって、基本、古いものを壊すことはせず、残せるものはそのまま残し、生かす。

新しくするにしても、かたくななまでに(笑)前のままを再現したり。
なので、こうして今でも普通~に市役所として使ってるんですね。
美術館に行かずとも、こうやって脈々と受け継がれるものがいっぱいありますよ。

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どんな小さな場所にも、歴史は脈々と流れている

先日のおらが村トレッキングネタが続きます。

トレッキングのテーマは「遺跡」、ということで、今回は考古学ガイド付き!
ガイドのマルタさんは、おらが村の隣町出身ですが
悪魔の橋のあるボルゴ・ア・モッツァーノ在住でガルファニャーナのガイドが多いそうですが
故郷であるこの地域にもかなり詳しい模様。

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おらが村の名前の由来は「波」、というのも、この地域は水が豊富で、
水車を利用して山で捕れる栗を粉にしたり、多くの力を生み出してきたそうです。

休暇の家」を通り越し、更に山へ登る途中にある、樹齢300年のコルクの木。

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この辺りは皆、農業をしており、ここにいたワインやオイルの生産者が
この木からコルクを作っていたそう。
しかし、近年の都会への流出で人は離れ、この木もそのまま放置されたまま・・・

コルクになる木は温度も必要だそうで、こんな高地では珍しいこともあり
保護自然物に指定されているそうです。

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ここは記憶があいまいなのですが、この土地の歴史を編纂するために赴いた
古文書編纂家がこのヴィラに住んでいた時に、かつてのゴシック様式の窓を作らせた
・・・とか、建築様式や、時代によって内面・外面のどちらに重きを置くかなど
歴史の観点が違うお話・・・ウーン、メモを持って行っておけばよかった!

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カテリーナの家系であるゴーリ家は、近年この辺りの領主であり
1900年代には2人が市長になるという、おらが村では有名な一家です。
そのヴィラも、昔は豚小屋やら、作業工房、領主家の人々の娯楽とな小劇場などを兼ねていました。

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現在のおらが村ができるまで、この地域の中心的な地区だったサン・レオリーノ。
中に入ることはできませんでしたが、特徴的な3つの後陣がかわいかったです♥

そして今回のハイライトは、サン・レオリーノの城跡。
ほとんどが存在しないのですが、森の奥に、城の主門があった壁が残っています。

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1100年頃の記録には、すでに城の存在は記載さえていたほど古いもの。
1367年にフィレンツェ共和国からグイーディ家の領地として割り当てられます。
しかしその後グイーディ家の謀反により、フィレンツェ共和国の監視下に置かれた後、
ポッピ(お城が残り、イタリアの最も美しい村にも選ばれています)小教区に割り当てられ・・・
この時代の貴族・有力商人家系などの力関係やイタリアの小国乱立期のお話、
一応それを卒論のテーマとした私としては、プチ興奮状態=3=3=3
つい最近TVドラマで見たメディチやアルビッツィの名前が出てくると
ハマっていた長男も目をキラキラさせて聞いていました。

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その後は、地下に続く井戸や

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所々に残る城壁を見ては、この城があったころに思いを馳せ・・・

でも一番感動したのは、今はこの土地の所有者のおじさんが見せてくれた地図!

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ぱっと見、子供が書いた絵みたいですが、1200年代の地図なんですって!
そこにもしっかり、サン・レオリーノの名前と、当時の重要地の名前と城の絵が。
そして、さっき見た教会だけど、正式認可された教会なんですか?と参加者が聞くと
「もちろん、僕はあそこで結婚したんだよ」とおじさん。
今は扉を閉ざされて誰も入れない教会ですが、そんな時代があったなんて・・・
快く私有地を解放して、お話しをしてくれたおじさんにも感謝!

おらが村は超マイナーな小さな村、しかし、その領域にかつて名をはせた城があったとは・・・
おらが村を深く知り、まだまだ発見をしたくなる、そんなトレッキングイベントでした。


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フィレンツェは何百年もほぼ変わらない町、と実感できる1枚の絵

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おととい、「バロネッサ」のお屋敷を訪問してきました。
取材の内容は記事に書くとして・・・実は我が家にもあるこの1枚の絵がここにもありました。

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この絵はフランチェスコ・ロッセッリ作の通称「鎖の地図」
オリジナルは鎖のような模様で枠があるため、そう呼ばれているそうです)、
フィレンツェを描いた作品は多く残されていますが、その中で一番古く、1470年頃に描かれたもの。

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この「リカーゾリ宮」もこの通り存在し、しかも名前までくっきり入っています。
(カメラ目線でばっちり笑顔のバロネッサ、かわいい♪)
ドゥオモはもちろん、ヴェッキオ宮殿、ヴェッキオ橋、サンタ・マリア・ノウ゛ェッラ教会など、
今でも現存し、フィレンツェ観光の見どころとなっているものは、すでに存在しています。
そう考えると、ほんと、フィレンツェの町って中世からほとんど変わってない!と改めて驚き、
歴史好きの私は、バロネッサが語ってくれたリカーゾリの歴史にもゾワゾワしっぱなし。

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中を拝見しながら、最後は天井が7mもあるサロンでお茶を頂き、
予定時間の2時間いっぱい、ず~っとおしゃべりをしていました。

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この地上階の中庭も、建てられた1400年代半ばそのまま。
フィレンツェを散策してよく見る、「PALAZZO ◯◯」の立看板、これらは皆、
リカーゾリ宮のような歴史的建物で、それぞれの建物や家族の長い歴史が刻まれている・‥
フィレンツェ観光では、急ぎ足で有名美術館や教会を回ることが多いですが、
少し気をつけて、看板や紋章が掲げられた建物を見つけてみてくださいね。


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イタリア貴族の名称と格付けは?「バロネッサ」と面会前日の疑問を解消してみた

長い長い歴史の中で、各国で生まれた「貴族階級」。
現在の普段の生活では関わりがないとはいえ、どう違うんやろ?
と疑問が出てきたので、ちょっくら調べてみました。

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フィレンツェにはあちこちにこんな邸宅がありますよん

まずは WIKIPEDIA
各国語での名称一覧表&どこでどう生まれたかの由来があり、分かりやすい。
イタリア語では貴族一般をNOBILEと呼び、割と聞く名称では
DUCA(公爵)、ARCHESE(侯爵)、CONTE(伯爵)があったのだけど、
今回調べるきっかけとなったBARONEは「男爵」でした。

ざっくりとした格付けは このサイト が分かりやすい!
つまり、BARONEは貴族の中では下級で、日本の中世だと「旗本」なんだって。ほほぉ~。

てな訳で・・・明日は、ライター記事の取材で「バロネッサ」=男爵位をもつ女性と
フィレンツェ歴史的地区にある、そのお屋敷にて面会して参ります。
旗本レベルとはいえ、格式高きお家柄の女性に取材だなんて
なんかちょっと緊張するなぁ~・・・なんせ、超平民日本人ですからね(爆)

3月末には FRAZE CRAZEさんのウェブマガジン にて記事公開になりますので、
内容を楽しみにしていて下さい★


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無料公開!10年以上ぶりの「メディチ家礼拝堂」

昨日の2月18日は、トスカーナ大公メディチの最後の末裔・
アンナ・マリア・ルイーザ・デ・メディチの命日ということでメディチ家礼拝堂の入場が無料!
最後は語学学校の遠足だったか、結婚式で来伊した両親と行ったか?
はっきり覚えてないけど、かれこれ15年近く前・・・これは、行っとくしかない!!てことで
日本語学校の待ち時間に勇んで行ってきましたが!・・・が!!

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やっぱり並んでる Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン 
これは無理かと思ったけど、ちょろちょろ進んでるので待っていると、
何なく10分後くらいに入場!

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キタ━━━━(゚∀゚)━━━━💛

入って右に回ると、このお方、そう、彼女が
アンナ・マリア・ルイーザ・デ・メディチ、1743年のこの日に亡くなりました。

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無料のニュースサイトで知ったけど、彼女の遺言で
「メディチ家のコレクションがフィレンツェにとどまり、一般に公開されること」
を条件に、メディチの
すべての美術品をトスカーナ政府に寄贈したため、
フィレンツェに残されたそうです。
今のフィレンツェがあるのも、彼女のおかげって訳か!

時間がないので、まずは君主の礼拝堂へ・・・

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どーだー!!と言わんばかりの、重厚な大理石と貴石に囲まれた礼拝堂は圧巻!

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それでも6人入るはずの像は半分が空っぽで、そこにまた盛衰を感じるのだわ・・・

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像がない人は、その大公の冠だけがぽつんと残る・・・

そして一番の見どころである、新聖具室へ・・・
ミケランジェロファン(私)にはたまらん空間なのです!

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ウルビーノ公ロレンツォ・デ・メディチの墓碑には「夕暮れ」と「曙」の寓意象が

その向かいには、ネムール公ジュリア―ノ・デ・メディチの墓碑があり

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「昼」と「夜」の寓意象が。

そうか、これはロレンツォ・イル・マニーフィコの墓碑じゃなかったか!
と説明書きを読んで思い出し、振り返ると・・・

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真ん中の聖母子像だけがミケランジェロ作で、
結局ロレンツォ豪華王と弟のジュリア―ノの墓碑は予定通りにできず、
後世こういった形で地味に(笑)落ち着いたようです。

名残惜しく新聖具室を去り、新聖具室横の小部屋をささっと・・・

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ここにはメディチ家出身の教皇・レオ10世の帽子と旗が。
1500年代のものなのに、なんか新品のような美しさにクラクラ・・・

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そのうちの1つにあった、この壁に残る筆跡は何!?
説明パネルもなく、調べてみても何なのかは不明・・・ご存じの方、教えて下さい!

これにて、30分強の見学は終了!普段は外を通るだけで、友人や家族が来るか、
仕事以外ではなかなか入らんけど、たまに入るとやっぱりいいなぁ。
ウフィッツィをはじめ、有名どこのほとんどは2年前の新聞取材で入ったけど
バルジェッロ、ヴェッキオ宮殿は最近は入ってないかも。
フィレンツェで時間がある時にちょろちょろ再訪しようかな。
せっかくこんなに近くにいるんだからね★
(いつでも行けると思うとなかなか行かない・苦笑)


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